Auto Union AG

1932年6月29日、アウディ、ホルヒとDKWはザクセン州銀行の主導のもと合併し、アウトウニオンAGとなりました。同時に、ヴァンダラーの自動車部門を買収するための売買契約も交わされました。合併後、新しい会社の本拠地はケムニッツとなり、アウトウニオンAGはドイツで2番目に大きい自動車メーカーになりました。

フォーリングスの誕生

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会社のエンブレムには4社の固い結束を意味する4つの重なった輪っかが採用され、アウディ、DKW、ホルヒとヴァンダラーのブランド名もそのまま残されました。そして各ブランドは、それぞれが特定の市場セグメントを担当することになりました。DKWはバイクと小型車、ヴァンダラーは中型車、アウディはデラックス中型車でホルヒが市場最高の高級車です。

グラフィックデザイナーやタイポグラファーとして有名なクルト・ヴァイデマン(1922-2011)は「良いロゴとは足の指で砂浜に描けるほど単純なものである」という言葉を残しています。単刀直入でシンプル且つ、印象的で独創的。90年前のロゴのデザイナーも、まさにそれを目指していたことでしょう。1932年にアウトウニオンAGとして合併したアウディ、DKW、ホルヒとヴァンダラーが後にアウディAGとなった際、新たなロゴが必要になりました。そして4つの重なったリングのロゴが誕生したのです。
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アウディ

1909年7月16日にアウグスト・ホルヒによってツヴィッカウで創立されたこの会社は、創立者の名前が既に競合社に使用されていたため、その名を受け継ぐことができませんでした。そこで、ドイツ語で「聞く」を意味する「ホルヒ」の名前をラテン語に訳した言葉が新しい社名として採用されました。アウグスト・ホルヒが二番目に創立したこの会社は1910年4月25日に「Audi Automobilwerke GmbH」として取引がはじまりました。
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DKW

1902年に「Rasmussen & Ernst(ラスムッセン&エルンスト)」としてケムニッツで創立された後、1907年にエルツ地方のチョーパウに移転。当初は上記発電所の蒸気油分離機、車のマッドガードとライト、加硫装置や遠心分離機などを製造販売していました。創立者のイェルゲン・スカフテ・ラスムッセンは1916年から蒸気自動車の開発をはじめ、1922年にはDKW(蒸気自動車を意味するDampfkraftwagenの略)を商標登録。1919年には玩具のエンジンとして2ストロークエンジンを製造しはじめました。1921年に社名を「Zschopauer Motorenwerke J.S. Rasmussen OHG」に改名。その1年後にDKWのブランド名でチョーパウ工場で生産された初のバイクが販売されました。
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ホルヒ

19世紀の終わり、ドイツには既にいくつかの自動車メーカーが存在していました。その中の一つが1899年11月14日にケルンで創立されたアウグスト・ホルヒ&チエ社です。アウグスト・ホルヒは自動車エンジニアの先駆者の一人です。自身の会社を立ち上げる前、彼はマインハイムのカール ベンツ社で自動車生産部門の責任者を3年間勤めていました。1904年、アウグスト・ホルヒは会社をツヴィッカウに移し、株式会社へと再編しました。
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Wanderer

1885年、ヨハン・バプチスト・ヴィンケルホッファーとリヒヤルト・アドルフ・イエニケという二人の整備士がケムニッツに自転車の修理会社を設立しました。当時は自転車の需要が高かったため、会社を立ち上げてからすぐに、彼らは独自の自転車を作りはじめました。彼らが作った自転車にはヴァンダラーというブランド名がつき、1896年から会社は「Wanderer Fahrradwerke AG」として取引をはじめました。ヴァンダラーが初めてバイクを生産したのは1902年です。その後自動車生産へと参入したのは1913年のことでした。